守・破・離とそうじゃないもの
守・破・離という言葉があります。この言葉は江戸中期〜後期の茶人である川上不白がその著書で表した言葉ですが、その発祥というか発想の根源には千利休、あるいは世阿弥の風姿花伝の序・破・急の考え方があるとも言われます。
芸事において、あるいは人が関わる仕事において、まず師匠の技を真似る、技を盗み、教えに忠実であることはすべての基礎であるといえます。この姿勢、師匠や基本に忠実であること、これを守といいます。
次に破、これは師匠の教え、基本を応用してより良いものを作っていく段階だといえます。これももちろん重要で物事はそうやって進化していくのでしょう。
最後に離。これは、 守も破も忘れて型から離れていくことことです。守と破という積み重ねがあってはじめて出てくる境地であり、なんだか仏教の悟りとも似た感じを受けます。
うん、まさにその通り。こういうことをいった人はすごいなと思います。
色々な本であるいは色々な教育の現場でそのことの重要性は語られてきましたし、僕も本当に守・破・離は大切だと思います。
でもこれがすべてなんでしょうか・・・。
人間はそうやって常に段階を踏むだけの存在なのでしょうか・・・。
天才だけがそういう枠を越え、わが道を行き、僕のような凡人はただ守・破・離の道を行くのみなんでしょうか?
vin et cuisine A.k.では、ワインをお出しする際に必ずテイスティングをさせていただきワインの状態をチェックします。
こんな感じで(笑)
その際にワインの状態を見て、グラスのチョイス、デキャンタージュの有無、そういったことを決めていきます。そして、そのテイスティングをさせていただいたものは必ず少し残して、従業員が勉強のためにテイスティングします。
うちの従業員、通称“がねーしゃ”は、それを喜々として行うのですが、今日、彼女はおよそ半年程度ワインを勉強した人からは出ないようなコメントを言いました。
“なんだか香ばしい・・おしょうゆのような、砂糖のような・・”
“!!!”
僕はびっくりです。
自然派のワインには、よくある香りでアミノカルボニール反応といわれる現象からおきてくる香りです。でも、そんなに簡単に嗅ぎ取れる香りではありません。
少なくとも僕には6ヶ月や一年程度の勉強では嗅ぎ取れなかった香りだと思います。
ある意味、守・破・離を無視して、自由に発言をしただけの言葉だったかもしれない。
でも、僕はうれしくてとても褒めてしまいました。
すごい可能性を感じます。
昔、某テイスティングセミナーを受講したとき、僕はテイスティングコメントをして、少し変わったことを言いました。
某先生は嘲笑気味に、“・・・・フーン・・・”。
とても悲しかった思い出があります。
今、少しだけ勉強をした僕は、あの時コメントした香りは“確かにありますよ。この香りは・・・”と説明することができます。でも、あのときの僕にはそれを証明する力はありません。
守・破・離の経過をたどっていないから、すごくいびつな言い方になっちゃうんですよね。
(焼酎のような香りがします。と言ったおぼえがあります。)
確かにその香りがあるのは、わかっているんですけどね。
ソムリエ試験にテイスティングの試験(2次試験)がありますが、試験に合格するためには基本的な型を身に着けることが重要です。
だから、型はとても大切。
でもワインをテイスティングする時は自分が感じたことを楽しく気軽に全部言いながら、自分の意見を大切にすることが大事。そして、それと同様に人の意見を大切にする。そうするとすごくわかってくるし、ワインて本当に楽しいと思えてきます。
人生もまた、自分の毎日を精一杯自分らしく生きて、それを大切に思い、人の言葉や先人の知恵を同様に尊重できたとき、とてもハッピーになるように思います。
時に結果が出なくても、うまく行かないときがあっても、いずれ守・破・離を実行し、自分の感性を大切にした人にはご褒美がやってくる。
僕はそう思います。
今日のがねーしゃのコメントは本当にうれしかった。
昔の自分を褒めてあげられたような気がしたのです。
